脱出しなきゃ。

カナダの中都市(カナダ人的な感覚では大都市、日本人的な感覚では田舎街)に住んでいて不足しがちなもの。それは「躍動感」。身体も心もいっしょに踊るような感覚です。山と湖に囲まれた暮らしは、自然ベースで進みますが、それ自体に文句はないのです。人は自然から生まれてきているので、自然に浸かりながら暮らすのは、ある意味「家に帰る」ようなもの。経験としては悪くない、むしろ必要、と思うわけですが....、思うは安し。


その実情はというと、都市が懐かしい、都市が恋しい、都市の躍動感がほしい。これにつきます。高いビルや道ゆく人々、車の音から、排気ガスを含んだ空気まで、ケロウナという世界一退屈なんじゃないか?という場所にないものを、どうしても探し求めてしまうのです。だって... この街にはエスカレーターがないんですよ?これ、どうですか?


そこでどうするか。脱出しかありません。どこへ?バンクーバーへ。ケロウナよりも小さな街たちを抜けて約5時間。こちらのドライブは、休憩なしでひたすら突っ走るスタイル。トイレに行きたいとつぶやいても無視され、お腹が空いてもガソリンスタンドのまずそうなサンドイッチしかない。インターネットはおろか、電話も通じないような場所をただ走る、これがカナダのドライブなのです。地獄谷の雰囲気満載の山や渓谷、ときどきあらわれる野生動物。渋滞はなく、ナビの時間は驚くほど正確に、現地到着時間を知らせてくれます。


そうして到着するバンクーバー。立ち並ぶビルやマンション、そこからもれる明かり、Tシャツ以外の服を着ている人々、レストランの中国語の看板、音と街の活気。そうそう、この「動いてる感じ」が足りなかったのと、酸素を吸い込むように、街な空気を体内にチャージします。何をせずとも、意識があちこちに飛んでいく感じがありがたい。ケロウナでは悲しいくらい、意識は自分の頭の中に止まります。外に向けようにも、家族などの身近な存在をのぞいては、意識の焦点となる対象そのものがない。自分は自分とい続けることになり、しばらくすると、あきあきしてくるのです。


ケロウナでよくとらわれるのは、あたかも他者がいないような錯覚です。あるのは、自分のアタマとそのコンテンツだけ。当然のことながら、そこでの生活にも「何か/実態」は間違いなく存在しているわけですが、感覚的にはまるで現実生活がないかのような、脳に去来する考えや思い、概念ばかりにとらわれる日々。霞を食って生きていけそうな、そんな感じなのです。


これは数字でいうと5のない世界。現実/5の感覚が希薄で、アイデアや思い、気持ちばかりが、ひたすら飛び回るマインドの世界です。もともと、現実感を持って生きるのが苦手な「5のない自分」。それをひたすら悪化させるのが、ケロウナでの自然に囲まれた暮らしだと気づくのに、そんなに時間はかかりませんでした。現実感を取り戻すのは、ケロウナを脱出したときだけ。思い出すように「不足していたもの」を実感するのです。


バンクーバーに入ったときに「やや都会な風景」を目にすることは、自分の身体を取り戻すような5の体験。この世で生きてるんだなあと自分を再確認する瞬間です。





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