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執筆者の写真マダムYUKO

固まるアタマ、変化の受け入れ。

2年前にカナダに引っ越してきて、まず困ったのは食生活。義務としての料理は大嫌い、でも、お惣菜を買うのも、いい加減なものを食べるのもいや。そこでした選択は「食材と調味料にこだわる」。肉は焼くだけ、野菜は切るだけ、魚はお刺身に限る。醤油もみりんも味噌もいいものを。かつお出汁だけは、仕方ないからとる。東京では、こんな感じでした。


これを料理と呼べるのか?というぐらい、食材勝負。結果として、料理の腕はあがらかったけれど、食材を見極める目はまあまあ育ち、○○に行けば○○が買える、というような情報も自分の中で増えてきて、東京での食生活は、料理はそれほどしなかったにもかかわらず、わりと豊かだった... と思います。自慢じゃないですが、賢く手抜きする主婦。


ところがカナダに来て問題が。料理のかなめ、頼みどころとも言える食材がイマイチなのです。野菜は、ワイルドな味わいと言えなくもないですが、なんだか大味。腐る直前だったり逆に、決して食べられるまで熟さない果物を買ってしまうことも。広大な肉売り場で目に入るのは、巨大な肉の塊ばかり。魚に至っては、日本だったら見切り商品にもならない「売ってはいけない」レベルのものが堂々と売られています。


こちらの食事情の「理解」と「受け入れ」そしてなによりも「慣れ」。それらを土台にした「新しい食生活」。とにかくこれが厄介でした。カナダの広い家も長い冬も英語の生活も、大変ではあるけれど、なんとか大丈夫。ただ、新しい食生活だけはそうはいかず、2年たった今でも「この魚はなぜこんなにまずいのだろう」と、毎回、新鮮にがっかりしています。


この順応性のなさ。これは4(頭、思考、マインド)の問題か、それとも5の(身体、変化、行動)の問題なのかとよく考えます。ソウルナンバー4のわたしは、アタマがつねに固りがちで、○○がいい、◇◇がいい、と自分の中で決めごとができると、なかなかそこから脱出できません。東京時代の食材勝負の料理から、アタマが離れられないように。


5は自分にない数字。5を持つ人は、変化を自然に受け止められる、という強みがありますが、わたしは4で思考が固まると、変化を起こす力がなく、ただひたすらそこに止まってしまいます。東京時代の食材を忘れられず、マズい魚を食べるたびに、全身でがっかりするように。


アタマが固りやすく、現状の変化を受け入れるのが苦手。本当は、移住生活にはいちばん、向いていないタイプなのかもしれない。というのが、自己分析です。ま。それでも人生は続くわけですが。アタマの雪溶け/4、魚がまずいという事実を受け入れ「新鮮にがっかりしなくなる/5」日はいつかくるのでしょうか。




スーパーの雰囲気はどこも、ステキなんですが。



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